チェッカーズは、1980年から1992年まで大活躍したバンドで、当時の人気は、今のジャニーズの人気にも引けを取らない物凄いものでした。
人気絶頂の時に突然解散し、世間を驚かせました。
その解散理由は、メンバーの高杢禎彦さんが2003年に出版した、チェッカーズ時代の暴露話を書いたエッセイ「チェッカーズ」で明らかにされています。
7人いたメンバーですが、現在は藤井フミヤさん以外のメンバーはテレビで見かけることはすっかりなくなったので、そんなメンバーの現在や、解散理由、確執の真相を調べていきたいと思います。
チェッカーズメンバーのプロフィールと現在
藤井 フミヤ フミヤ
藤井郁弥(ふじい ふみや、1962年7月11日 – ):リードボーカル(曲によってはギターやブルースハープも担当)
言わずと知れた、チェッカーズのボーカルです。
解散後も『TRUE LOVE』や『Another Orion』などが大ヒットし、現在も精力的に音楽活動をしています。
昨年は武道館で自身の還暦を祝うコンサートを開催し、チェッカーズ時代の曲も披露しました。9月からはデビュー40周年を記念して全国ツアーが始まるそうです。
藤井 尚之 ナオユキ
- 藤井尚之(ふじい なおゆき、1964年12月27日 – ):サックス(他ギター、フルートも担当)
- 私立九州産業高等学校(現在の九州産業大学付属九州産業高等学校)卒業。郁弥の実弟。元々ベースを担当していたが、大土井の加入により、サックスに転向。通称「ナオユキ」。ファンたちの愛称は「尚(なお)ちゃん」。血液型はA型。グループ内最年少のメンバー。
フミヤの弟で、兄弟で「B-BLOOD」を結成し、ライブなども行っています。
武内 亨 トオル
武内 享(たけうち とおる、1962年7月21日 – )は、日本のミュージシャン、チェッカーズの元メンバーでギタリスト。福岡県田川市出身、福岡県立八女工業高等学校卒業。身長166cm。血液型はO型。既婚者で子供が三人いる(うち2人は先妻の子、1人は後妻の子[1])。
現在も「アブラーズ」というバンドで音楽活動をされているようです。
高杢 禎彦 モク
高杢 禎彦(たかもく よしひこ、1962年〈昭和37年〉9月9日 – )は、日本のタレント、俳優、元チェッカーズのサイドボーカル。通称はモク。福岡県久留米市出身。私立柳川高等学校卒業。血液型はA型。現在の所属事務所は地元福岡県にあるフリーダム[1]。
フミヤとの確執があったと言われる高杢さんです。
現在は埼玉県にある妻の実家の旅館を共同経営者として手伝っているそうです。
その旅館とは、外観は古びているものの内装はリフォームされていて、食事の提供はなく素泊まり1泊7000円の宿で、近隣の方によると、
「以前は食事と温泉でにぎわっていましたが、今は近くの免許センター利用者や工事現場の関係者が泊まるぐらいです。コロナ禍で大変だったみたいですが、夫婦でほそぼそと経営しているようです」とのこと。
元チェッカーズという事は言わず、静かに過ごしているそうです。
大土井 裕二 ユウジ
大土井 裕二(おおどい ゆうじ、1962年11月2日 – )は、日本の音楽家、俳優で、元チェッカーズのベーシスト。福岡県田川市出身。福岡県立三井高等学校卒業、第一経済大学(現・日本経済大学)中退。血液型はB型。身長176cm。
現在も音楽活動を続けているのですが、2023年4月19日に体調不良により緊急入院し、予定していた公演の中止・延期および出演の見合わせを発表したそうです。
でも5月3日には無事退院し、5月20日に開催予定のライブでの復帰を目指しているということです。
鶴久 政治 マサハル
鶴久 政治(つるく まさはる、1964年〈昭和39年〉3月31日 – )は、日本の歌手、音楽家、タレント。元チェッカーズのサイドボーカル。プロシード傘下事務所ボールド所属。
チェッカーズ時代から、作曲などの制作に携わっていて、解散後はアイドルのプロデュースを手掛けたり、裏方として大活躍しているようです。
徳永 善也 クロベエ
徳永 善也(とくなが よしや、1964年6月7日 – 2004年8月17日)は、日本のミュージシャン(ドラマー)。元チェッカーズのドラムス担当。「クロベエ」の愛称で親しまれた。身長174cm。血液型はA型。福岡県久留米市出身。
解散後もバンドを結成し、音楽活動をしていたが、2004年8月17日40歳の若さで舌癌により永眠致しました。。
このクロベエのお葬式で、メンバーの確執が浮き彫りになったようです。
解散理由と確執の真相は?
先ほど記述した、高杢さんの著書で語られていますが、チェッカーズ解散を申し出たのは藤井フミヤさんのようです。
フミヤさんがチェッカーズを脱退したいと相談したときに、真っ先に反対したのが高杢さんで、「解散したら食べていけない!」と必死に継続を懇願したそうなのです。
しかし他の尚之さん、武内亨さん、大土井裕二さんは解散に同意していたので、高杢禎彦さん、鶴久政治さん、徳永善也さんの3人と意見が真っ二つに分かれたそうです。
他のメンバーは、楽曲など提供していたのですが、高杢さんは作詞作曲ができず、印税が入ってこない事にとても不安があったようです。
そしてフミヤさんが押し切る形で解散し、高杢さんはその約11年後に、暴露本でフミヤさんを痛烈に批判しています。
そのことで更に溝は深まり、2004年のクロベエさんの「お別れ会」でも、主催者のフミヤさんから参加を認められず、参加できませんでした。
もうここまで関係が悪くなると、修復は難しいのでしょうか・・・。
特に金銭的な原因も含まれているので、いくら幼馴染とはいえ、簡単にはいかなそうです・・・。
まとめ
今回はチェッカーズのメンバーの現在や解散理由などについて調べてみました。
私はまだ幼かったのですが、姉とよくチェッカーズの歌を歌いながら踊っていて大好きなバンドだったので、結成40周年の今年は、なにか嬉しいニュースがあるといいなと思います!
ご覧くださってありがとうございました!