2023年10月2日、ジャニーズ事務所が2回目の記者会見を行いました。
今回の会見には藤島ジュリー景子さんは欠席され、手紙により、パニック障害であることや母のメリー氏との関係が告白されました。
今回明るみになったメリーさんとのいびつな親子関係や、パニック障害に陥ってしまったジュリー景子さんの生い立ちをまとめてみました。
藤島ジュリー景子の家族構成!父親や夫は誰?
藤島ジュリー景子の父親は作家の藤島泰輔
藤島ジュリー景子さんの母親はメリー喜多川さんということは有名ですが、父親は作家の藤島泰輔(ふじしま・たいすけ)さんです。
メリー喜多川さんは、ジャニーズ事務所を手伝う前は、四谷三丁目の『スポット』というカウンターバーを経営していたそうです。
そこに訪れていた、当時は東京新聞の記者だった藤島泰輔さんと出会いました。
出会った当時は藤島泰輔さんには妻がいましたが、メリーさんはジュリーさんを身籠り未婚で出産。
ジュリー景子さんが生まれた後に、藤島泰輔さんは作家に転身し、才能を開花させていきました。
その数年後、3人でアメリカのフロリダ州へ移住し、のちに藤島泰輔さんは離婚が成立し、メリーさんと正式に籍を入れました。
メリーさんも破天荒な方という印象ですが、夫の藤島泰輔さんも当時としてはかなり破天荒ですね・・。
ちなみに、藤島泰輔さんは初等科から大学まで学習院に通っており、現在の上皇様と同級生だったそうです。
そして三島由紀夫氏とも先輩後輩の仲で親しくしていたそうで、華やかな学生生活を送っていたようです。
作家や評論家として大変活躍していましたが、1997年に享年67歳で亡くなっています。
藤島ジュリー景子の元夫は高橋拓也
藤島ジュリー景子さんは2004年~2009年までの5年間、高橋拓也さんと婚姻関係でした。
出会いは藤島ジュリー景子さんが大学卒業後に就職したフジテレビだったようです。
当時フジテレビの秘書として働いていたジュリーさんと、フジテレビのアメリカ支局プランナーとして働いていた高橋拓也さんは、お互い海外経験が豊富という共通点から意気投合し、交際に発展したそうです。
結婚後は、高橋さんは婿養子となり、ジャニーズ関連会社の
- 「株式会社ジェイ・ストーム」の取締役
- 「株式会社アートバンク」の代表取締社長
などを任され、ジャニーズ事務所の仕事を手伝っていました。
しかし2009年に離婚後、現在は再婚し、2児の父親として新しい人生を歩んでいるとのことです。
離婚理由は、メリー喜多川さんとの相性が合わなかったからと言われています。
高橋さんは前述したように、ジャニーズ関連の会社の取締役を任されていましたが、その仕事ぶりをメリーさんが全く評価していなかったようです。
また、高橋さんは高級外車やクルーザーをポンポンと買ってしまう浪費壁があるとの噂もあり、それらの要因もメリーさんは快く思っていなかったと言われています。
しかし浪費癖に信憑性は無く、ただメリーさんは高橋さんの仕事ぶりが気に入らなく、将来のジャニーズ事務所の幹部にさせるのを嫌がったという説が濃厚なようです・・。
一部では高級外車やクルーザーをボンボン購入する放蕩ぶりも報じられましたが、実際はそこまで無茶苦茶な人物ではなく、ジュリーさんとの夫婦仲も悪くなかったといいます。しかし、メリーさんはT氏の仕事ぶりをまったく評価しなかった。事実上の追放だったと伝わっています。
引用:サイゾーウーマン
これらのエピソードでも、藤島ジュリー景子さんがパニック障害に陥った原因が見え隠れしますね。。
藤島ジュリー景子の家系図
こちらはエンタメファミリーさんから引用させていただきました。
ジュリー景子さんの祖父は喜多川諦道さんです。
真言宗の僧侶をしていた方で、大隈重信とも親交があり、僧侶でありながらロサンゼルスに移り住むなど、異色の僧侶だったようです。
また、ジュリー景子さんのもう一人の叔父である喜多川真一さん(メリーさんの長弟)は、NASAの関連会社でアポロの設計をしていたという優秀な方でしたが、50代半ばで亡くなられたそうです。
藤島ジュリー景子はなぜミドルネームがある?
ジュリー景子さんにはミドルネームがあるため、度々「ハーフでは?」と言われていますが、ジュリー景子さんは純日本人です。
ミドルネームがあるのは、母親のメリー喜多川さんにもミドルネームがあることがきっかけのようです。
先述したように、メリー喜多川さんの父親は僧侶でしたがロサンゼルスへ移住し、メリー喜多川さんやジャニー喜多川さんはロサンゼルスで生まれました。
なので、日米両方の国籍を持っているため「メリー」や「ジャニー」というミドルネームを付けられたそうです。
ちなみにメリー喜多川さんの本名は「喜多川メリー泰子」で、メリーはクリスマスの翌日に産まれたことから、クリスマスに因んで付けられたそうです。
そして娘のジュリー景子さんを産んだ時も、ジュリーさんは日本で生まれましたが、将来外国での活躍も視野に入れミドルネームを付けたと言われています。
ジュリーさんは7月に生まれたため、「July」に因んで「ジュリー」としたようです。
藤島ジュリー景子がジャニーズ事務所代表取締役になるまでの経緯
ジュリー景子さんがジャニーズ事務所に入ったのは、1994年です。
大学卒業後はフジテレビに秘書として非正規社員として入社しましたが、その後退社ジャニーズ事務所に入所しました。
ジャニーズ事務所入社後は、「藤島ジュリー」や「ジュリーケイ」などの名前でスタイリストとして働いていたようです。
時系列でご紹介します。
1994年:ジャニーズ事務所入所:スタイリストを中心に、マネージャーや通訳業務も担当する。
1997年:初のレコードレーベル(ジャニーズ・エンタテインメント)の初代社長に就任する。
2001年:新レコードレーベル「ジェイ・ストーム」の代表取締役社長に就任。
2019年:ジャニー喜多川氏の死去により、ジャニーズ事務所代表取締役に就任。
2021年:メリー喜多川氏の死去により、ジャニーズ事務所の株を100%受け継ぐ。
2023年9月:ジャニー喜多川氏の性加害問題により、ジャニーズ事務所社長を辞任。
この間、度々ジュリーさんはメリーさんとの折り合いが合わず、2008年から2018年までの10年間はジャニーズ事務所本社には一歩も出入りしていないと言っていました。
藤島ジュリー景子は母メリー喜多川との関係が原因でパニック障害に!?
2023年10月2日の記者会見で、ジュリー景子さんは手紙にて、パニック障害に苦しんでいたことを告白しました。
そして母であるメリー喜多川さんとの関係も赤裸々に告白しました。
そして母メリーは私が従順な時はとても優しいのですが、私が少しでも彼女と違う意見を言うと気が狂ったように怒り、叩き潰すようなことを平気でする人でした。
引用:ORICON NEWS
私はそんなメリーからの命令でジャニーズ事務所の取締役をされておりましたが、事実上、私には経営に関する権限はありませんでした。
引用:ORICON NEWS
メリーからは私の娘である孫に会いたいと切望され、1年に数回、一緒に食事をすることや、お正月には孫と旅行することを決められておりましたが、私自身はメリーと話をすることを極力避けてきた人生でした。
引用:ORICON NEWS
心療内科の先生に「メリーさんはライオンであなたは縞馬(しまうま)だからパニック障害を起こらないようにするには、この状態から逃げるしかない」と言われ、自分で小さな会社を立ち上げ、そこに慕ってくれるグループが何組が集まり、メリー・ジャニーとは全く関わることなく、長年仕事をしておりました。
引用:ORICON NEWS
これらのエピソードから、普通の健全な親子関係とはかけ離れた印象がありました。
可愛いはずの娘であるジュリーさんをここまで支配してしまうメリーさんは相当な方だったのでしょう。
ジャニー氏もメリーさんには全く逆らえなかったと言われています。
きっとジュリー景子さんには、外側からは分からない色々な葛藤があったのでしょうね・・。
ずっとバッシングを受けていたジュリー景子さんですが、今回の告白により、同情の声も上っていました。
ジュリー景子への同情の声
藤島ジュリー景子の一人娘は藤島サラ!
ジュリー景子さんには元夫との間に生まれた一人娘さんがいます。
- 名前:藤島サラ
- 生まれ年:2004年
- 年齢:19歳(2023年10月現在)
- 高校:アメリカンスクール・イン・ジャパン
- 大学:慶応義塾大学 ※2023年10月現在アメリカの大学に転入
2023年9月の記者会見後に、「ジュリー景子さんがハワイで豪遊していた」という記事が出ました。
しかし正しくは、ジャニー喜多川氏の性加害による誹謗中傷のため、やむを得ずアメリカの大学に編入した娘さんに会いに行ったためだったようです。
現在娘のサラさんはアメリカの大学で頑張っているようです。
何の罪もないサラさんの人生まで、影響してしまい…本当にお気の毒です。
アメリカではのびのびと生活してくれていることを切に願いますね。。
まとめ
とても特殊でエネルギッシュな家系に生まれた藤島ジュリー景子さんですが、才能溢れた親族に囲まれながら、支配する母親の顔色を伺いながら敷かれたレールで立ち振る舞うのは、並大抵の苦労ではなかったように思います。
傍から見ればとても恵まれている環境だと思っていましたが、今となれば、性加害問題の一切の責任や尻ぬぐいをさせられ、娘さんにまで誹謗中傷が向けられ、お気の毒でなりません。
しっかりと役目を果たされた後は、メリーさんの希望ではない、ジュリーさんの思う幸せを追求して、新しい人生を歩んでほしいですね。
今後も注目していきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。